私の大好きな彼らは幸せでいるだろうか...

改めて書くことでもないが、完全に私の感想で特定の誰かを否定したりするつもりは全くない。

今回の騒動は根幹をさかのぼればそれぞれに理屈があって、両者に言い分はあるのだろう。ただしかし、一方が圧倒的に強大で、圧倒的に策謀に長けていた。

様々に報道されていることにそれぞれ正しい部分があったとして、全員の行動を俯瞰してみると「そこでかけちがったかー」となるけど、その時点ではそんなこと見えてるわけはないので一連の行動に誰かが責任があるとも思えない。 もちろんわたしの見聞きした情報が全てでもないし、全部が本当だと思ってもいない。

今更の情報だが事務所公式では、「独立について協議中」「メンバーより話をさせていただく」の二回しか情報を出していない。これまでもまともな公式発表なんてするわけはなくいろいろなことをスルーしてきたのだから、公式コメントなんてないくらいで当たり前だと新参者の私ですらおもっている。

そう、本来の事務所はこんな風に外野の報道なんて気にせずに自らの主張を秘密裏に通すことが得意なはずだ。それをふまえて騒ぎになったからと言う妙な理由での事務所発表の早さといい、事務所関係者からの様々な情報が出てきていることといい、意図的な情報操作としか思えない報道が続いている*1ことといい、あえて表舞台で何かをしたかったという恣意性を読みとるのはそう難しいことではないはずだ。

なぜ、このタイミングでSMAPの「メンバーのみ」が「自身の冠番組」で「謝罪」を「急遽予定を変更」してまで、それも「生放送で」しなければならなかったのだろう。*2

そもそも誰に謝るというのだ?百歩譲って存続を願うたくさんの声に対する感謝ならまだわかる。でも彼らは、「いろんなことが見えていなかった。迷惑をかけた。」と自らの非を責め、「誰か」に謝罪するのだ。全く納得していない憔悴しきった絶望した顔で。

事務所の本来のスタンスであれば、内部で解決した内容について全報道に対し沈黙し、もしくは文書での当たり障りのないコメントのみをだし、なにもなかったように活動を継続するはずである。私たちもしれっとした顔でメンバーがでてきて、人騒がせだなといいながら終わることをどこかで望んでいた。だからこそSMAPファンは外野の情報は情報として中居の言葉を待つと決めたのだろう。*3

だが今回はちがった。ファン宛ですらない「誰か」宛の謝罪を見せ物のような舞台を設定されやらされた。事前に号外としか言いようのないFAXすらばらまかれてまで。

そもそも彼らがなにをした?報道が一部事実であると仮定しても、ありたいていに言えば窓際族*4の転職活動*5で、それもかけてもらった費用分を何十倍にもした収益を十二分にもたらした上でだ。また、かれらは定期的に契約を結んでいるわけであるから、そもそも事務所側に契約更新をしない権利があるのと同様に彼らにもより条件がよいところと契約をする権利が認められている。 どこを切り取っても、一般社会で考えると当然の権利を現在の状況に対して当然に行使しようとしただけ以上のことには思えない。

事務所の中でも別格とか開拓者とかいろいろいわれるが、彼らは望んで新しい道を開いたわけじゃない。デビューしても売れないからって茨の藪の中でとげに刺さりながら前に進んだ結果が新しい道になっただけではないか。

これは世に言う「制裁」であり、同時に意に添わない行動をしたときにどうなるのかを全所属タレント及び、脱退し新しい名前でエンターテイメントビジネスに参加している者達に見せしめることがねらいだったのではないだろうかとすら邪推してしまいそうになる。

私は正直SMAPファンではない。 故に今回の騒動に対する熱量も、渦中のSMAPに対する熱量もSMAPファンとは比べものにならない位低い。普通のごく普通の特に普段SMAPなんて気にもしていない人たち*6と何らかわりがない。

それでも私はこの報道に心を痛める。

なぜならば「私の応援する彼ら」はきっとこの騒動を受けて、強く心に刻むのだ。

「たとえ仮に出て行きなさいと言われても真に受けてはいけない。」「逆らってはいけない」「自分の頭で考えるな。言われたとおりにするのだ」と。

そんなこと思ってほしくないと私たちにできる事務所への対抗手段を考えてみたところで、株式会社ではあるけど、非上場で内部の人間が全ての株をもっているため、株価を下げるなんてダメージはそもそもあの会社には起きえない。事務所全体に対する不買運動という作戦もあるが、SMAPに対する不買運動なんて起きた日には女帝がほくそ笑むだけだし、それ以外のグループに対する不買運動なんて・・・考えただけでもできるわけがない。そして事務所はそれをわかっている。

なぜなら、あるグループはメンバーが4人になってようやくのチャンスをつかんだ1枚をリリースする年であり、あるグループはいままでエリートといわれながらもなかなか伸び悩んだ上でようやくつかんだ活躍の光が見えた年であり、これからメンバーが減るという苦難を迎えるグループも、アニバーサリーイヤーを越え新たな一年を踏み出したグループも、アニバーサリーイヤーを迎えるグループもいるのだ。

それぞれのグループを応援している私たちが応援している彼らに何ら非がないのに事務所への抗議の為に応援している彼らを傷つけ、活動の場を減らしてしまう不買活動なんてできるはずがない。

なにもできることはないけど、私たちに幸せをくれる彼らが、彼ら自身の幸せをつかんでほしいと強く願っている。

アイドルである故に、パフォーマンスだけではなく彼ら自身が商品になってしまう故に、一部行動が制限されてしまったり、プライベートを詮索されてしまうことも実際にはある。それをしているのは矛盾するようだが応援している私たちだ。

それでもやはり彼らには幸せでいてほしい。操り人形ではなく、自ら考え、やりたいことをやってほしい。そしてそれを私はみたいのだ。

故に私はこの一連の流れを受けて非常に憂う。

私の大好きな彼らは幸せでいるだろうかと

*1:これを書いている今も引き続き

*2:世間を騒がせた責任なら経営者が公式に謝罪すべきだ

*3:今まで繰り返されていた独立話はこんな感じでおわっていたのだろう

*4:活躍してないってことでなく、別の部屋、領域で仕事をしているの意味で

*5:もしくはのれんわけ調整

*6:今回憤っているのはけっこうこの層

僕たちのジュリエット

いきなりだけど、ジャニーズのコンサートに参加する女子のモチベーションとして特筆すべきモチベーションは「彼氏に会いに行く」モチベーションであると思っている。

これは担当に対する感情がどうなのかという話とは切り離して、あくまでも、「コンサートにいくときのモチベーション」の話と限定する。

もちろん担当に対する感情はリア恋でない場合がほとんどだけれど、そうはいっても、「かわいく着飾って会いに行くの、できれば目があうとうれしいよね。近くにきてくれたら私のこときっとみてくれるよね。何か合図(ファンサ)してくれたらうれしいなぁ。だから精一杯かわいい格好をしていくの。」というモチベーションは彼氏に会いに行くモチベーションといっても過言ではないと思っている。

とはいってももちろんこれがモチベーションのすべてではなくって、いろんなモチベーションがいろんな割合でまざって最終的なモチベーションとなるように見える。 いろいろある中のあくまでも一部だけどこんなのがあるかな。

⚫︎応援:担当のカラーの衣装を身につける、担当の番組でやってた衣装をコピる

⚫︎祭、イベント:フェイスペイントやカラフルなチュチュ、コンサートTのカスタマイズ、双子コーデ

混ざり合うそれぞれのファクターの濃度はいろいろなので、応援モチベーションの比重が多い人も、彼に会いに行くモチベーションの比重が多い人もいるだろう。

「嘘だーそんなことないよ。」といわれそうなので一応論証を。

コンサートにいって実際にやることとは何だろう。 基本的にスタンディング。そして飛ぶ、はねる、大声を出す。 (もちろんバラードとかもあるし、MCで座ってねといわれる時間帯もあるけど、それでもバラードが多くを占めるコンサートはジャニーズではさほど多くはないだろうし、着席席というのがもうけられる位だから基本的にみんなスタンディングといっても差し支えないだろう)

「上記の行動を行う上で適切な格好を答えなさい」といわれたら、「スニーカー、パンツ、カットソー」といったいわゆる「動きやすい格好でお越しください」といわれた際にチョイスする格好を答える人が多いだろう

しかし実際のコンサートでみられる格好は ・ひらっひらふわっふわスカート、ワンピース ・巻き髪、がっつりメイク ・厚底パンプス、ピンヒールパンプスなどの華奢な靴 などだ、実際にとる行動に対して着ていく格好のチョイスが整合していない。

ので、実際にとる行動を越える何かのモチベーションが働いていると考えても間違いではないだろう。イベント仕様にするだけだったら動きやすい格好でもいくらでも派手にできる。*1だけど、あえて女子らしい格好をしていくのだから「イベントだからだよ」だけでは筋が通らない。

それでは「実際のコンサートでみられる格好」をして出かける時ってどんな時?と考えると、「大好きな彼(つきあっててもつきあってなくても、結婚していてもしていないくてもいいよ)にあうとき」が一番近しいのではないだろうか。

ということでめちゃめちゃ雑だけど論証終わり。

これってきっとアイドル特有なんだろうなぁと思うわけなんです。私の今までのコンサートやフェス経験に照らし合わせてとてもびっくりしたので、ジャニーズのみかはわからないけど、アイドル特有なんだろうと思うのです。

フェスに参加するときは花輪付けたりとかいろいろするけど、それでもやっぱり大前提として「動きやすい格好」であることが最低条件になる。ゴアテックスのレインパーカーはMUSTなんだけど、そんな中でも色をこだわるとか。だからコンサートやフェスに参戦する格好って機能を前提としてその後にファッション性がくるとおもっていた。それは野外フェスでも屋内コンサートでもそれほどの差はないようにみえてた。

でもジャニーズでは私の思っていない格好の人がたくさんいた。とてもびっくりした。そして私はこれをみてジャニヲタのみなさまを愛おしいなと本当におもった。

かわいいよね。

一生懸命友達とおそろのかわいい格好考えて、かわいい格好して大好きな彼に会いに行って、楽しんでいってねって精一杯盛り上げてくれる彼と一緒に楽しい時間を過ごすって考えると。

ファンの行動についてはいろいろなことが言われているし、それこそがジャニヲタって眉をひそめられる一因になっているのは間違いないのだけど、それでも、一生懸命かわいい格好して大好きな彼に会いに行くって本当に本当にかわいらしいと思う。

ちなみに今度私が参加するときにはHey!Say!JUMP担の女の人って年齢上の人でもきれいな人多いよねといわれたいので、できるだけきれいめな格好+応援(ネイルを担当カラーにする)+イベント(ペンライトをもつ)なモチベーションで参加したい。

私の参加時のモチベーションに「彼に会いに行く」が含まれていないのはよくよく私の中身を振り返ってみたのだけどやっぱりなかった。そんなもんかね。

*1:EXILEコンとかだとうごきやすい格好×イベント仕様が結構いる気がする

ピンクとグレー

裕翔ファンではないけど、原作を読んでいたこともあって、初日にみてきた。

ネタバレになるのもなんだし、内容について思うことはそれぞれなので、もはや俳優:中島裕翔についてになってしまいそうだけど、書いてみる。

とりあえず内容はまずおもしろかったよ。みた後ピンクとグレーを読み返そうと思ったし。

脳内の世界を文字化できる人にはすごくあこがれるんだけど、今回は文字を映像にする才能がある人って本当にすごいなぁと思う。
原作本の映画化を嫌う人は多いけど、私は結構好き。本で読んでた文章が映像作品になることを「こんな映像になるんだー」って純粋に思える。たまに「違うんだー」ってなることもあるけどそれでも、映像化された時点で原作本とは別の作品だと思っているので、原作と違うように見えてもそれはそれで楽しいと思う派だ。


裕翔の役は62分の衝撃の前後で、「ストイックな成功者」と「なんとなくぐずぐずしちゃうだめ人間」を一つの作品のなかで演じわけないといけないって言うとても難しい役だったんだろうと思う。ちゃんと演じ分けられていたら逆に全体のストーリーが成立しなくなるからあれはあれでよかったのかな。
それでもやっぱり演技っていう意味だと菅田ちゃんに食われてしまっていた。菅田ちゃんだけじゃなく周りの俳優さん達に食われてしまっていた。裕翔がどうこうじゃなくって、周りの俳優さんがやっぱりとても「俳優さん」なんだなと思った。(途中まで菅田ちゃんを主役っぽくとっていたのもあるけど。それはそれで62分の衝撃の前後を考えると、裕翔の役が主役っていう意味だとあっているので意図的だったんだろう。)

わたしがそうであったように裕翔も「若手俳優さんかとおもったー」と言われるほどの演技力はあるんだろうし、今回の監督にも演技力を評価されている。それでもそもそもアイドル:中島裕翔という虚構の個人を作り上げることを生業としている人が俳優という個人を消して要求された人格になることを要求され続けてきた人にそうやすやすと勝負できるわけがないのかもしれない。
「NEWS加藤シゲアキ原作」なのでジャニーズ以外での主演はなかったんだろうとか、あの小説からするとかわいい系の人は使いづらいので正当派イケメンができるって意味だと裕翔が適役なんだろうとかいろいろと想像はついてしまうけど、その想像を加味しても初主演であれだけ演じられてたってすごいんだろうね。
Hey!Say!JUMPのメンバーっていう枠組みに照らし合わせるとそこまでやって大丈夫なの?って思ってしまうくらいの場面もあったし、そういう意味でもすごく力が入っていいたんだろうなぁ。そして「ジャニーズって足かせはめず役者をやろうとしている」的な決意にも見えてしまうくらい頑張ったんだろうなぁってゆうのがわかる作品だった。

育ちの良さがどうしても透けて見えてしまうから今までの役で演じることが多かった「熱血好青年」とか「残念イケメン」っていうポジションは素の裕翔ととても近しく、つまりいままで好評だった役柄って言うのは役を演じるっていうよりも本人自身と近しいところだったように見える。

ジャニーズが演じる時って演技自体のうまさと関係なく、誰を演じてもキムタクじゃんって本人が後ろに見えちゃう人と、本当にカメレオンになれる人といると思っているけど、裕翔には是非カメレオンになってほしいなぁ。小泉孝太郎さんとかも育ちの良さが透けて見えるイケメン枠だけど、最近カメレオンだし、もって生まれたすばらしいもの達は決して不利にはならないはず。

ピンクとグレー自体も新年に公開する映画としてはとてもすてきなメッセージ性を持っていたのでたくさんの人にみてほしい。

このメッセージだけだとネタバレにはならないと思いたいし、裕翔もこの言葉は番宣で使っていたので、このメッセージだけ書いておこう。

「やれることは全部やるの。やりたいことじゃなく。私はそうする」

三十路のジャニヲタ道inプライベート

一応使い回しの繰り返しですが、念のため。

語呂的にキャッチーな感じがしたので、こんなタイトルを付けてしまったけど、繰り返すようだが私はジャニヲタではない。(私レベルの好きの熱量でジャニヲタを名乗るなんておこがましいと思っている。決してジャニヲタに否定的ではなく自称できる人にあこがれすら抱く方だ)

こっちはほほえましいエントリーになった。

会社ではひたすら隠れているが、プライベートでは女性に対してのみオープンだ。(会社女性は会社に公表するつもりがないので、あくまでもプライベートのみで親しい女性に限定する)
男性は、、、前のエントリーどおり怖いので言いたくない。

沼おちする前の私がそうであったように同年代の女性はHey!Say!JUMPをあんまり認識していない。
24時間テレビもV6とよくわかんないジャニーズの若い子が一緒にパーソナリティをやるんでしょ?的なリアクションがくるような年齢層だ。(そして24時間テレビをみない年齢層でもある。独断と偏見ですが。)
グループごとの認識度で言うと、eighterやアラシックの友達はいるので、上から嵐、関ジャニ∞位までが全員認識されていて、NEWS、KAT-TUNのは人を選んで認識。感覚で言うと半分くらいかな。脱退っていわれてもそもそも何人今いるんだっけ?全員は知らないなぁ的な位。そして、キスマイ、Hey!Say!JUMPに至ってはセンターしかわからず、セクゾ、ABC-Zはグループ名しか知らないかグループ名もよく知らないというのが私たち世代の一般的な認識みたいだ。(私の周りだけなのでそうじゃないというエリアももちろんあるとおもう)

そんな認識されていないHey!Say!JUMPについて、「超かわいい子がいたんだよ!!」と熱く語ったところ、返ってきたリアクションとしては、みんなほのぼのした目できいてくれ、
羽生結弦に友達がはまって遠征するからチケット協力している
・実は毎年○○(わからなかったけどたぶん歌手とかバンドとか)のコンサートに妹巻き込んで横アリにかならずいっている
・先輩に宝塚好きがいるので年に何回か一緒に見に行っている

などの、ライトなエピソードがわたしもわたしもとぽろぽろ出てくるのである。
振り返ってみれば確かに友達からその手の語られをしたときには自分のそのときの好きなものを含めたエピソード返しをしていた記憶がある。
好きな人の大好きなものを聞くのはジャンルが違ってもとても楽しいと思うのが女性みたいだ。そしてはまっているものの程度の差こそあれみんな好きなものを持っているのが普通のようだ。

ただ一つ傾向が二分していたのは好きなものについて旦那(もしくは彼氏)にはいっていないけどね。もしくは言ってはいるけど一緒にいったりはしないけどね。というあくまでも自分一人の趣味として女性中心に楽しんでいるケースと旦那(もしくは彼氏)と一緒にいってるんだー。二人いるとチケットちょっととりやすくなるんだよね。のオープンにパートナーと楽しんでいるパターンに分かれたことくらいだろうか。
これは関係性もだし男性の資質にもよるのでそんなものなのだろう

前のエントリーで社会人男性は集団としてはジャニーズを認めない的なことを書いたけど、後輩のジャニヲタ男子は彼女とライブいくといっていたし(彼は生粋のジャニヲタであって彼女に感化されたパターンではないので特殊事例かも)好きな彼女の好きなものを否定しない男性は案外多いのかもしれない。

宝塚、フィギュア、バンドなどなど対象は様々だけど、みんなそれぞれ好きなものを持っていて、相手の好きをほのぼのとした目線でみてくれるのが女性のいいところなのかもしれない。

まさに「みんなちがってみんないい!!」というところだね(大ちゃんがカウコンでキミアトアレンジしてた)

今度Hey!Say!JUMPにあまり興味がない友達をコンサートにつれてったらどうなるだろうかと考えたけど、その時間は心の底から楽しんでくれるだろうと用意に想像がついた。(そのあと一緒に愛で隊になってくれるかは別問題だけど)

女性は優しいねというところがこのエントリーのまとめかな。

三十路のジャニヲタ道in会社

語呂的にキャッチーな感じがしたので、こんなタイトルを付けてしまったけど、繰り返すようだが私はジャニヲタではない。(私レベルの好きの熱量でジャニヲタを名乗るなんておこがましいと思っている。決してジャニヲタに否定的ではなく自称できる人にあこがれすら抱く方だ)

今回はちょっと私としては切ない。切ないけどこんな感じだとおもう。

さて本題に戻ると世の男性は三十路overのジャニヲタに厳しい。(女性も厳しい人がいなくはないがその比ではない。)特に20代〜30代の成人男性が厳しい。それ以上の人はもう若い男の子がジャニーズなのかジャニーズ以外なのとかよくわからなくなり関心がなくなるらしくさほど厳しい意見は聞いたことがない。
なお、20代前半の女子が「嵐が好きです。コンサートに応募したいので○○買った際にはバーコードください」と朝礼でお願いしていたときは概ね好意的に処理されていたので男性側の年齢だけではなく女性側にも「三十路をすぎると」というボーダーラインがあると思われる。

サンプルとして私の会社には45歳前後の嵐担とKAT-TUN担と思われる女性がいる。公表していないのであくまでも思われるレベルだ。だが思われているの時点で世の男性からは確定診断らしい。(KAT-TUN担と思われる女性は亀梨ポスターをデスクに張っているので半分公表じゃないかとつっこみたいところだ)

繰り返すが本人たちは公表しておらずむしろ否定している位なので、あくまでも予想の域でジャニーズ好きなのだが、この女性達に対して男性の目は厳しい

・いい年して若い男の子にうつつを抜かしているなんてどうなんだ
・アイドルにはまるなんて若い時分にすませておくべきことでいまやるべきではない
・あの感じでライブいって盛り上がったりするんですかね(失笑)
・いやー若い子にキャーとかいっている姿見たくないです。
・うちわとかもってたりして。家にポスターとかあったらどうします(苦笑)

等々の否定的な意見を拝聴した。基本的にはアイドルの属性として汎用的に若年性を設定して、対象者の年齢と照らし合わせてのギャップをわらう意見が多い。男性でもよく若い女性を好む壮年男性が気持ち悪いといわれるのと同じ系統といえばわかりやすいだろうか。
本人たちが公表していないのにこんなことをどこでいうのか?ご認識の通り陰口だ。私は芸事には疎くて(苦笑)のスタンスを保っているためこんな意見を聞いたが総じて陰口だ。
多くを占めるのが失笑であり、理解できないという感覚だ。なお本人たちにこの系統の情報を出すときは嘲笑に変わる。彼女たちをいじるときにこんな情報をつかっていじるのだ。

それ故私は隠れている。沼に落ち掛けたのも一年前とまだまだ歴が浅いため公表する必要もないし、せざるを得ない機会もなかったので意図的に隠していたわけではなかったのだがあらためて引き続き積極的に隠れたいと思う。

伊野尾のファンはなぜだか隠れるんですと「ニノさん」でニノがいっていたので、隠れ伊野尾愛で隊として今後とも生息していたい。見つかって研究材料にされるのも分析材料にされるのもごめんなのだ。

詳細に確認したことはないが、AKBにも韓流にもモノノフにも懐疑的なので、ジャニーズだけに否定的なわけではない、おそらく一貫してアイドルにたいして否定的である。(なお、おそらくEXILEには寛容だと思われる。なぜなら彼らは自らをアーティストとして呼称するため。あとみんな実は年齢若くないため)
そして「劇団四季にいってきまーす」と宣言して早退したとき「劇団四季ならしょうがないよね」とのリアクションを受けたので、芸事全般に否定的な訳ではないようなのだ。サンプル収集のため今度「宝塚にいってきまーす」と宣言して反応をみてみようかと思っている。ジャニーズと共に沼といわれる宝塚だが、どんなリアクションになるのだろうか

社会人男性にも個々に分解するとモノノフはいるだろうし、ジャニーズといいつつTOKIOは歌っている時間より土木作業の時間の方が長いだろうし、嵐は男性人気も高いしと社会人男性の集合体かジャニーズかどちらかを分解すれば理解があることも多いのだが、総論としては否定的なスタンスである。

私は私が好きなものについて基本的にほっといてくれと思っていることもあり、公表するつもりもない。

10年選手のジャニヲタのみなさまはおそらく公表されているだろうし、周囲の協力なしではジャニヲタ道を邁進することは難しいと思うのだが、新米の沼おちした人たちはカムアウトをどうしているのだろうか。謎は深まる。

アイドルという、ジャニーズという存在

別に大したことを書きたいわけではなく、上から定義を押しつけたいわけでもなく、ただただ私がジャニーズのコンサートにいって、初めてわかったジャニーズというアイドルというものが引き起こす衝撃について書きたいと思う。

別にいい悪いの話をしたいわけではないよ。

前置きはいいからなんなんだといったら、観客が泣くのである。

いや、知ってたよ。人が大好きなアーティストにであって泣くことがあるのって。
でも彼らの自称は「アイドル」だ。「アイドル」と「アーティスト」がどう違うのかよくわかんないけど「アイドル」だ。前に二宮くんが僕らはアーティストでも俳優でもなくて、アイドルなんです。本分はアイドルだから、俳優をさせてもらうときは俳優を本分としてやっている人に恥じないように一生懸命やるんです。俳優を本分にしている人の何倍も努力をしないいけないんです的なことをいってた。(覚えてる範囲でこんな感じのこといってたので、嵐担の人からするとそうじゃない。なのかもしれないのだけど、私はこの言葉がものすごく衝撃だった。男性でそこそこの年齢になって仕事としても演じることを認められて、それでもアーティストや俳優と名乗らずアイドルであることに誇りをもってアイドルとしてほかの仕事に取り組む二宮くんがむしろ神々しいとさえ思ったのだ)

だからジャニーズ事務所に所属するタレントである彼らのことをアイドルだと思ってるし、アイドルに対してキャーキャーいう女の子がかわいいなぁと思っていたし、バラードとかで涙ポロリする事はあっても、目の前に現れて感涙する事はあっても、あんな泣き方を引き起こす存在だとは正直そのときまでの自分は思っていなかった

衝撃が起きたのは京セラ大晦日1部。

配置はバックステージ横。スタンド席の上の方でビスタ席のすぐ下。「JUMPくんたち豆粒だなー。ドームはひろいなぁ(しみじみ)望遠鏡今度かおっと。」位の場所。

そんな場所でコンサートが始まりを迎えたと思ったその時、涼ちゃんがはじめにあおったら横の高校生か大学生か位の女の子がないた。

泣いたとというか目から涙がぶわーって流れ出た。押さえるまもなく流れ出る涙を目撃してしまった。

あまりにも衝撃的でどんな感情なんだろうと大事な曲を堪能することをさておき考え込んでしまった。
きっととっても涼ちゃんのファンなんだろうと思ったんだけど、(うちわは持っていなかったので未確定)泣いた感情のもとは何なんだろう。(だれかおしえて。)始まった曲のイントロはバラードでもなく、アップテンポのウィークエンダーだ。目の前に涼ちゃんがきたわけでもない。ただ涼ちゃんは遠くのステージの上の方にいて、見える範囲のステージにはまだ現れてなくって画面をとおして4万5千人の観客をあおっただけだ(だけだというと起こられそうだがだけだ)

そんなに瞬間的に涙がぶわーって流れることがあるんだとほんとにびっくりしたし、タイミングにも本当にびっくりした。

それ以上にアイドルがこの距離でこの状況で人をあんな風に泣かせることができることに心底衝撃を受けた。

続きましての衝撃は京セラ大晦日2部。同じ日に起きた衝撃。

その回の配置はステージを真横からみる(というかステージ見えない)アリーナ一の端っこにいた。
いやーステージが見えない。マジで見えない。ステージは画面でみるものって感じの席だった。
隣に座ったのが男女のカップル。席にたどり着いて女の子がもっとかわいい服でくればよかった。こんなにいもっぽい格好で何できたんだろうといっているのがかわいかった。それというのも目の前に花道があったのですぐそこをJUMPくんたちが通るからだ。
コンサートが始まるとこの子たち(特に男の子)ががんがんのってて目の前をJUMPくんたちが通る度にギャーっていってた。

衝撃が起きたのは涼ちゃんと圭人のバラード、3月14日〜時計。(余談だがLet's spend the time together foreverという歌詞がとてもとても好きだ)
MCでほどよく涼ちゃんと圭人がいちゃいちゃしていちゃいちゃしてそれではと歌い出し、曲中も過剰にいちゃいちゃしーの目の保養な感じで歌いきって私が横を見ると、カップルの片割れが泣いてた。
どっちかといったら男の子の方が目から水出してた。涙ぐむとかではない。目をハンカチで押さえながらとかでもない。だーって水がでてたのだ。
目頭を押さえることすらせず、涙が流れていたのだ。

彼女に向けて「永遠に時を共に」と歌い上げるナンバーだから男の子は隣にいる彼女のことを思って泣いたのかとも一瞬思ったのだけど、あれはきっと違う。
JUMPくんに泣いたんだろう。ステージ見えない席だから、JUMPくんの摂取は当然画面越しが3時間中2時間半位だったが。それでも目の前にJUMPくんがきたときではなく画面に大々的に長い時間撮されているのをみていて、歌っている涼ちゃんを見続けていて歌を聴いて、そして無意識的に涙が流れ出たのだろう。
もしかしたら涼ちゃんの過剰摂取の反作用なのかもしれないというくらい無意識的な泣き方だった。(ちなみに彼の持っているうちわは伊野尾うちわだったので、若干の謎はのこる)

その後のコンサートも満喫し、ホテルにかえってぼんやり振り返った結果「存在だけで人を泣かせられる存在なんだ彼らは」と理解した。どちらも引き起こしたのは「絶対エース山田涼介」だけど、たまたま今回私が目撃したのが涼ちゃんが引き起こしたケースだったと言うだけでHey!Say!JUMPの誰でも起こすことがあるんだろうとおもう。もっというならジャニーズの誰でもこんな経験を数え切れないほど引き起こしているんだろうと思う。

そんなアイドル像がかわったコンサート参戦でしたとさ。

「なぜかこんな時にジャニーズに泣かされた(泣いてしまった)」的な話をこれから集めていったらきっと心理的な作用がわかりそうなので、今度知り合いができたら聞いてみたい。

こと始め

あるブロガーさんがもっとジャニヲタに文章を書いてほしいとおっしゃっていたので便乗して年が始まったのを期にブログを始めてみることにしてみる。

まず自己紹介的にスタンスを表明。

私は「伊野尾様を愛でたい。転じてHey!Say!JUMPががんばってくれるとうれしい」と思っている。
ただ歴の浅い愛で隊のためジャニヲタを名乗ることに気後れする。同様に担当を名乗ることにも気遅れする。

私ごときがジャニヲタとか担当とか・・・言えないっ。って感じですね。

ただこれは自称なので、周りからわかりやすくいうと三十路にして沼に落ちた新米ジャニヲタ伊野尾担なのだろうと思う。

これまでもライトにジャニーズのことを好きではあったけど、誰を好きな時もFCに入っていなかったし、ライブにも観覧にもいったことがなかった。

そんな感じで徐々にフェードアウトしていき、ジャニーズはつけたテレビででてたらぼんやりながめるものとの整理がついた頃、TBS「半沢直樹」(小説読んだけどドラマみてなかった)のコメントで「ジャニーズでてないドラマでも十分おもしろいじゃないか!!ドラマにジャニーズは不要だ!!」とかいってるけどHey!Say!JUMPの裕翔がでてるもんね的なコメントを発見し、続けてテレ朝「デート〜恋とはどんなものかしら〜」をみてるときに鷲尾くんはジャニーズです!!ぽくないかもしれなけどきらきらジャニーズなんです!!的なコメントを発見し、Hey!Say!JUMPの中島裕翔はぱっとみジャニーズっぽくない俳優系ジャニーズなんだねぇ。最近のジャニーズは多才だねぇ。そいえば翔ちゃんはキャスターだし、シゲは小説家だもんねぇ。でもHey!Say!JUMPなんてわかんないよねもう。などとぼんやりHey!Say!JUMPを認識。

(デビューのころからそんな名前のグループがあるのは知ってたけど、初々しすぎて私には関係ないグループとしてあんまよくわかってなかった)

その後せんせーションズのパフォーマンスをスクール革命でみたときに、認識していた裕翔ではないく横でかわいらしくおどっていらっしゃった伊野尾様に落ちたのが今でも鮮明におぼえているすべての始まり。
いやーかわいかった。その後さかのぼって2014年11月以前の伊野尾様をみても「このころの伊野尾様みても沼落ちしなかったなぁ」と毎回思うからこのタイミングでなければ大好きにはならなかったんだね。今の伊野尾様が私のツボなんだね。色白茶髪マッシュルームがツボ立ったんだね。

いやもう尋常じゃなくかわいい。誰これ?からネットを駆使し、伊野尾慧らしいと認識し、愛でたいと思ったものの伊野尾元年とかいろいろいわれているのを目にする度にはやりに乗った自分が申し訳ないやら何やら。

そんなこんなでこの年齢で後悔するのもなぁと決断しFCにはいってコンサートにも行ってCD・DVDも買って、、、それでも、伊野尾担は名乗れない。いつか堂々と名乗れる日が来るのだろうか。

そんな風に戸惑いつつも、露出が適度な子を見守れるのはうれしいなーとにまにましておとなしく沼でぽちゃぽちゃ中。

いろんな方のブログを拝見してみなさま10年戦士のジャニヲタの方が多くて担降りとかいろいろ経験されている博識の方ばかりなので、そんなことはかけないけど新米ならではの目線で私の伊野尾愛でる記録をつけられたらなとおもってブログを開設。

しばらくはだれもみないだろうから自分の伊野尾愛で備忘録になると思うけど後でみたらきっとおもしろいだろうからちょこちょこがんばっていこう。